告別式に参列

普段はあまり死と向き合うことがないのに、知人だったりとりわけ近しい人物が亡くなるとどうしても考えざるを得ません。自分の人生は何だったのか、何のために生きてきて、死んだらどうなるのか。年を重ねて故人が同世代だったりすると余計にそのように感じてしまいます。生きている限りいつかは必ず死を迎えますし、それは避けることができない事実です。人間には考える力があるので「死んだらどうなるんだろうか」と誰もが純粋に考えるのも当然なことです。しかし有史以来その問いに明確な回答を出したものはおりません。行ったことのない世界に絶対的に行かなければならないのに、そこがどんなところなのか分からないからみんな不安になり、恐怖に慄(おのの)くのです。分かっていれば誰もが安心して行けるはずなのに。正しい行いをし、悔いなき人生を送った先にあるのが天国なら、今からでは遅すぎるようだが、出来るだけ正しいと思うような生き方をして行きたいし、悔い多き人生だったが、せめて残りの人生くらいは悔いのないような人生にして、堂々とあちらの世界に行きたいものだとしみじみ感じながら、参列者の一角に加わりました。そして故人の安らかなお顔を見ながら「良き人生だったのだろう」としみじみ思いました。