『有り難う身体の具合は今の所大丈夫です。徐々に向こうの山(黄泉の国)には進んでいるでやう(よう)ですが今鳥屋(自分の住む部落名)に年たか(最高齢者)が私一番です。でもコロナがなくなるまで死にたくない。有り難う頑張ります。私メールもしこし(少し)は上手なったかなぁと思います。』今年3月で96歳になった老母からのメールです。若かりし頃は戦争を経験し、今またコロナ戦争に遭遇しながらも逞しく生きています。ボケ防止のためにメールを教えると面白がって返信してきます。100歳を目指す母を時々登場させたいと思います。
半年が過ぎて
2021年という年もいつの間にか6ヶ月が過ぎ去ろうとしています。思えば2020年の初頭から「コロナ禍」に振り回され1年半がたった今も未だにトンネルの先が明確に見えていないことに大きな不安を感じています。緊急事態がまん延防止に移行しても東京などは相変わらず感染者が増え続けていて、五輪パラも難しい状況下での開催になりそうです。まぐろまんも飲食店での自粛が継続される限り流通も停滞してしまいますし、その上まぐろまんの原料を獲る延縄船が100隻ほども廃業を余儀なくされているとのニュースが今朝飛び込んできて更に不安に拍車を掛けています。「明けない夜はない」を信じて今は忍耐し続けるだけですが、その先を見据えて準備だけはしっかりと思う月末です。
良きパートナー
プライベートゴルフで優勝すると決まって「今日は良きパートナーに恵まれて優勝することが出来ました」というコメントが入ります。営業でもパートナーに恵まれるということは多々ありますが、まぐろまんを始めた当初から「社外パートナー」がいて彼に営業を心底支えて貰っています。ホームページの製作からパンフレット、その上営業ツールのノウハウまで営業全般のアドバイスを貰っています。月に一度の打ち合わせですが4時間ほどかけて話し合います。そこからたくさんのヒントやアイディアが生まれ無くてはならない存在、良きパートナーになっています。今日がその日で「まぐろまんを絶対に全国化しましょう」と硬い約束をして次月の再会を期しました。
種を蒔き続けて
営業力に乏しい分商品力で勝負することの多いまぐろまんです。またネーミングの面白さからも一度聞いたら忘れられない商品がまぐろまんです。どこからか聞き付けて問い合わせが来ることも度々です。今日も『「東北地方の量販店様からまぐろまんの引き合いがあり見積と有償サンプルをお願いします」との依頼を受けましたので対応をお願いします』と某大手問屋の担当者様から連絡を受け早速手配致しました。実はこちらの某大手問屋はコロナ禍でなかなか訪問も出来ず、商談も思うように進んでいませんでしたが、全く別の支店の担当者様からでしたので驚きました。そして種は蒔き続けた分だけ必ず実を結ぶことを感じさせられました。
歯科定期健診
若い頃に乱暴な生活をして来たツケがだんだん年を重ねるごとにいろんな形で現れてきます。その一つが歯です。最悪になるまで放置しいよいよ限界で歯科に駆け込むともう手遅れで大事な「自分の歯」と言われるのは数えるほども残っていませんでした。最近は近くの歯科医に薦められて定期検診を始めました。4か月に一回通いながら歯のチェックから磨きまでして頂くことでちょっと安心感が出てきました。人間は足から弱るとか歯が一番大事だとか言われますが、遅れ馳せながら両親から貰った身体を大切にしようと感じる日々です。
朝鮮戦争
時が流れて71年前になりますが、今日6月25日(1950年)は朝鮮戦争が勃発した日です。ソ連(当時)と中国の後ろ盾で北朝鮮軍が一気に南下し、あっという間に最南端の釜山を残すばかりになりました。国連軍はマッカーサーを指揮官にして仁川上陸作戦を決行、反撃に出て一旦は押し返すも、中国軍が参戦して泥沼化。3年に及ぶ激戦の末に38度線を挟んで「休戦状態」に。以来膠着状態が今なお続いています。同じ民族が思想の違いで対峙することになりいつ和解できるか全く未知数です。隣国での事情は決して対岸の火とは思えないのです。
リンゴ日報
26年間発行し続けた香港紙「リンゴ日報」が発行停止になるというニュースが流れました。地理的に見てもかの国とは隣国であり太古の昔より切っても切れない関係の深い国でした。歴史的に見ても時に友好的であったり、時に敵対的であったり隣人関係の難しさを教えられて来ました。顔立ちでは私たちとほとんど見分けがつかないような同じ東洋人です。その国で起きていることが全く他人事とは思えない事態が最近特に多いことに胸が痛みます。明るいニュースが流れる時が必ず来ることを切望します。
献血の凄さ
60㎏の体重の人ならば大体5ℓの血液が流れていると言われています。その血液を献血できることは私たち人間の大きな使命だと感じてきました。出会う人ごとに献血の話をし「出来ることからは始めて下さい」と献血推進を自分の信条にして来ましたが、まさかそこまでやるとは信じられませんでした。何年か前に話した彼は「やってみます」と言って時あるごとに献血をし続け、今日確認したところ何と118回も行っていました。提唱した私の方が恥ずかしくなるほどでした。「自分が出来ることはこれくらいですから」と謙虚に話してくれました。単純に118回×400ml=47200ml つまり47ℓですから一人の血液量の10人分にも匹敵する量を彼は献血したことになります。もしこのレベルまで行かなくても献血が当たり前になればどれ程の生命が救われることでしょうか。一人でも多くの方々に啓蒙しながら献血の尊さを訴え続けていくつもりです。
恩人の命日
その夫人はたった一人の娘さんを早くに亡くし、ご主人にも先立たれながら一人で懸命に生きて来られましたが1989年5月22日満79歳の生涯を閉じられました。大変お世話になった恩人でしたし、何よりも信仰心が篤い方でしたので「私が亡くなったらこの家屋を教会に献納致します」と遺言し世を去られました。教会側は故人の意思を尊重され、自宅の跡地に5階建ての教会を建設しました。生前は近隣の方からも大変慕われていましたが、今でも尊敬の念で見守られておられるとのことでした。「生きて価値あり死して尚その価値を高めんとす」
賞味期限
長いことまぐろまんを扱って頂いている問屋さんから今朝電話を貰いました。1ヶ月の賞味期限内で使い切れない物が毎回何冊か残ってしまう。何か良い方法はないでしょうか」と。「普通の冷凍庫(-18℃)では1ヶ月ですが、超低温冷凍庫(-50℃)をお持ちですか」と尋ねると「持っているよ」と言われるので「それでは次回から一括表示は―50℃で1年の賞味期限を打たせていただきます」と返答しました。「それは有難い」ということで決着しました。因みに社長は「まぐろまんは本当にすごいと思うよ。1月7日賞味期限のものがたまたま残っていて色を見たら全く変色していないので驚いた」と言いながら画像を送って頂きました。(もちろん販売はできませんが)