5年住み慣れた事務所から初めて粗大ごみが出て来ました。昭和アナログ人間にとって初めて挑戦することはいつも「未知との遭遇」です。時代が日進月歩に飛んでいくのに恐る恐る前に進むしかないようですが、どんなことにも挑戦し続けないと生きられないようになっているようです。さてその粗大ごみですが、電子レンジと電気スタンド。どちらも寿命というか使い物にならなくなってしまい、行政が運営する「粗大ごみ収集」に依頼しなければなりません。ホームページから「粗大ごみ収集」を見つけ出し、IDとパスワードを設定して登録を行い、しかる後に収集の申し込みを行います。あらかじめごみの種類が記載されていてその中から相応しいものを選択し、サイズを測り、画像を撮ってそれを添付せよとの指示です。料金はどちらも400円、近くのコンビニか郵便局でシールを購入し、それを貼付けて指定日(1週間後)の朝8時半までに出すようにとのことでした。何とか辿り着いて、確認の返信メールが届きましたが生きて行く上で全てがこんな調子ですので「慣れなければならない」と思いながらも、頭の構造がデジタルになっていないのでその都度切り替えが大変です。まだ何十年か生きなければならないのにちょっと窮屈です。人付き合いも大変ですが、機械との付き合いの方がもっと大変な高齢者です。
お盆スケジュール
PCR検査
第7波が各地で猛威を振るい過去最高という数字が居並び出しました。PCRの予約が取れたので近くの検査場まで猛暑の中出掛けました。鼻の穴を綿棒でクルクル4回以上回す検査と唾液を取り出す検査の2種類行いました。これが抗原検査とPCR検査で、それぞれ結果は90分後と2日後に自分の登録IDに送信されてくる仕組みでした。場所に驚きたのは「民家」の土間でブースは4台、しかもアルバイトのような人たちが3名で担当していて、医療機関でもなければワクチンの大会場のようなイメージとは全くかけ離れていて困惑してしまいました。帰宅してすぐに抗原検査の結果を確認すると「陰性」でした。(発熱等の自覚症状が出た5日前後には陰性反応になるらしいとの噂もありますが・・・)とにかく陰性でしたが、全く自覚症状のない妻は「陽性」でした。2日後に届くPCRの方がより正確なようでそちらの結果待ちになります。ただ全国的に感染者数が増え続けると経済に与える影響が大き過ぎてかなり厳しくなるのは間違いなさそうです。
パンク修理
近所の自転車屋さんが廃業したために15分ほど先までパンクした自転車を押しながら歩きました。さすがにこの時期は暑さのためにちょっとしんどくなります。ニコリともしない60台近い店主らしき人物が状況を一目見るなり「どうやらパンクだけではなさそうですな」と言って早速チェックしてくれました。案の定バルブが壊れ、チューブも修理するよりも交換した方が良いし、タイヤも相当に擦り減っているので一緒の交換を勧めると言われ、料金は3900円だとのことでした。今後も愛用することから「お願いします」ということでその場で修理に掛かってくれました。慣れた手付きで解体しながらチューブとタイヤを交換して行きながら、途中で部品のいくつかを「もう錆びて使えないね」と言いながら新しい部品に交換して行きました。「中古でも新車でもみんな値上がりして困ったもんだ」「安い中古を購入すると結局安い部品を使用するのですぐに使えなくなってしまう」「安い自転車は安いだけしかない」短い時間の中でいろいろ話してくれ、「それって自転車に限らず、マグロと全く同じだ」と強く共感してしまいました。最後は菱曲がった前かごを叩いて直してくれたり、前タイヤも全部点検してくれたり、油を差してくれたり。終わってみれば「また来たい」と思わせる強烈印象の自転車屋でした。
スライス
まぐろまんを長年取り扱って頂いている問屋の担当者様から「お得意先が寿司屋を開店するそうでその際にマグロはスライスを使いたいと言っています。手配できますか。」という問い合わせを頂きました。今までもまぐろまん(冊)の営業の中で良く言われる質問でした。結果から言えば「まぐろまんをスライスにして販売するのは現段階では無理です」と答えて来ました。理由は人手不足と人件費に見合うだけの価格設定が出来ないということです。外注に回すことも考えましたが、それでも価格が合いそうにありません。一旦販売した先で再度スライスに加工して販売してもらう案も出ましたが、なかなか現実化しませんでした。それほどまぐろまんのスライス化は困難でした。結局今回は一般のスライスを製造しているメーカーから取り寄せて紹介することになりました。しかしまぐろまんの究極課題の一つですのでいずれは挑戦し解決したいと考えています。
コロナ感染?‼
猛威を振るう第7波にとうとう掴まってしまった感じです。15日(金)夕方からちょっと熱っぽいなと感じて計ってみたところ38℃を越えていました。そして一晩中魘(うな)されてほとんど眠れませんでした。16日(土)は市販薬をきちんと飲んで様子を見ようと思いましたが、37℃後半から38℃前半を行ったり来たりで食欲もなく、徐々に咳も出始めて来ました。熱のせいで悪寒が激しく終日床の中でした。明日変わらず続いたら医療機関を訪ねようと思いながら16日が過ぎて行きました。17日(日)少しは眠れたようでしたがそれでも熱は下がらず倦怠感に襲われるようになりました。もう医者に行くしかないと意を決して保健所に連絡を入れその後に医療機関を探してあちこち連絡しましたが繋がりません、「今日は日曜日」でした。そして明日18日(月)は休日でまたまたお休みになるかと落胆してしまいました。そんな中、横浜在住の娘家庭から電話が入り「義父母と子供二人を含めて6人全員感染した」とのことで驚きました。娘が「薬を変えてみたら」とのアドバイスで別の市販薬を試しに2錠飲んでひと眠りしました。目覚めて検温すると36度台にまで下がっていました。体調もかなり楽になっていました。ビックリしました。こんなに効くのか。そして今日19日(火)には多少の倦怠感と若干の咳き込みは残るもののほぼ回復傾向に向かっているようで自己判断で「隠れコロナ」にしてしまいました。3連休はコロナ連休になってしまいましたが、大難が小難で済んで何よりでした。
戻り梅雨
早い段階での梅雨明けがあって猛烈な暑さが続いたかと思うと、今度は梅雨に逆戻りのような大雨が列島を襲ってこの週末は不安定さが増しそうです。コロナの第7波が忍び寄っている中で、またあの「ゲリラ豪雨」だとか「線状降水帯」だとかという単語が並ぶたびに鬱陶しさを通り越して恐ろしさを覚え、遠い昔をついつい思い出してしまいます。それはまだ中学生だったころの夏休みの最後の週辺りで起きた集中豪雨による水害を体験した記憶です。近くを流れる一級河川の堤防が決壊して一気に住宅地に水が押し寄せて来ました。夜の8時頃に玄関からチョボチョボ家屋に水が入って来たなと思う間もなく、床下に侵入し、見ている間に畳がポカポカ浮き始めました。家財道具を2階に上げているうちに既に胸まで浸かるほどにまで達していました。これ以上は無理だと判断して家族全員2階に避難しましたが、翌朝になって景色は一変していました。家が流されなかっただけでも不幸中の幸いで、地元の消防団の人たちが小舟に乗って安否を確かめに来たり、救援物資を届けてくれたりしてました。数日後に水が引けた後がもっと大変でした。家中に汚水の混じった泥がたまり、それが悪臭と重なって災害処理に大きな妨げになり、1ヶ月以上もかかってようやく落ち着きを取り戻しました。そんな記憶がこの豪雨が到来する度に思い起こされます。自然との闘いではありますが、この長い戦いはまだまだ終わりそうにありません。
第7波
小康状態だったのに全国で9万人を超え「第7波」に突入した模様のコロナ。発生から2年半以上経過し、だんだんマンネリ化し始めて来た矢先、大阪でも1万人を突破してしまいました。一昨年の第2波も、昨年の第5波も夏でしたので、正にこの時期は要注意です。まぐろまんを製造している愛媛県松山でも「1000人を超えるなんてあり得ない」とショックを隠し切れません。「道路での歩行の際にはマスクを外しましょう」と流れるCMを見ながら、徐々に通常に戻りつつあるのかなと期待していた面もあったし、旅行客を後押しするような気配も見えたので、この第7波突入はまた重苦しい空気に逆戻りです。3回目のワクチン接種後の腕の痛みで一日欠勤した娘と「4回目のワクチンが始まる」というニュースを見ながら居た堪れない気持ちになりました。
80億人
今年11月には80億人を突破するという世界人口。少子高齢化が止まらない日本の事情とは裏腹に世界はどんどん人口が増え続けているというニュースが流れました。2080年代には100億人の大台を突破する見通しだとか。当然その時代には生きてはいませんが。かつて幼き頃は30億人と聞いた記憶がありますが、まさか自分の生きている間にこの地球上に80億人もの人類が住むことになろうとは夢にも思わなかったことです。更に間もなくインド(16億)が中国(13億)を抜くことは間違いなさそうです。さてそうなると人類はとてつもない難問に直面して行くはずです。狭くなった地球上でどのように五色人種が「共存」出来るのかを真正面から解決していかなければなりません。もう戦争などをしている場合ではないのです。どの国に生まれるかという選択権を持たない人間は、どんな国に生まれようとも、生まれて来たからには「誰もが幸せに生きる権利があり、絶対的にそれを保障する力が必要です」。生まれながらにして難民になったり、食糧難に追いやられたり、弾圧を受けたり、戦争に巻き込まれたり・・・・というのはもうこの時点で終止符を打たなければなりません。最低限、国家は国益のみの追及を最善とするのではなく、国境を越えた地球規模における真の幸福を基本とした理念を構築する時を迎えなければなりません。それが出来るのもまた人間です。今こそ強いリーダーシップを必要とする時なのに、人類はまた一人巨星を失ってしまいました。彼は間違いなくその難問を解決できる人物のひとりであったはずです。
早速の注文
7月6日(水)に行われた企業(問屋)展示会では、来場者こそ350名あまりであったがまぐろまんの反応はかなりの手応えを感じていました。真っ先に注文が入ったのは大阪市内の中堅ホテルからでした。会場では「まずは朝食メニューから使ってみたい。良ければレストランや宴会関連でも導入を検討したい」ということでしたので「かなり本気だなあ」とその場でメモして置きましたが早速の注文に嬉しさが込み上げて来ました。まぐろまんの特徴としては、とにかく流通関係者を早く通過させて調理現場に辿り着くこと、そして実際に使ってみて頂くことだといつも思っております。九州での出張の際にも高級料亭の調理現場の責任者の方に直接お会いできてお話や感想をお伺いすることが出来ました。メールに、『今回使用させて頂いております、【まぐろまん】ですが、最初見て、使った時は本当に驚きでした。鮪の細部まで知ってらっしゃる事だからこそ出来る技術と感じております。今後とも長くお付き合いする事になると思いますが、何卒宜しくお願い致します。』との返信が入り、真の価値を知って頂いていることに改めて感謝と感動を覚えました。一人でも多くの調理に携わる方にまぐろまんを届けて行きたいと思います。